選曲の芸術性

選曲について

ちょっと硬い話しになりますが、今回は選曲の芸術性という答えの無い話題をしましょう。

芸術って?

まず前提として芸術ってなんでしょうか。感性の問題ですから文章ではうまく言い表せませんが・・・。完全に私個人の意見ですが、芸術って発信者が目指すものではあるのですが、ジャッジは第三者だと思うんです。「私の作品は芸術です」などと言う人も居るようですが、同意する人も居れば認めない人も居ますよね。認めない人にとっては芸術ではないわけです。「私の作品を理解できないなんて芸術を解っていない」なんて上から目線の押し付け芸術なんて、本当に芸術なんでしょうか。せめて「芸術でありたい」という発言レベルに収めていただきたいです。

音響効果としての選曲の目的は、作品の印象を高めて、目的や内容をより受け入れやすくしていく事が基本です。つまりわかり易さを優先するのですが、そこだけに拘ると、当たり前過ぎてつまらないのです。何故でしょうか・・・よくあるパターンになり独自性が無くなるからです。ですから芸術には創造性と独自性が必要だと私は思います。具体的に探ってみましょう。

必要なもの1 新しさ

新しいものを求めるのは芸術を目指す上で必要な条件だと思います。選曲でいうと、普段聞かないような音楽を使うとか、過去に記憶がない音楽の付け方をするとかです。なんかよく解らないけど、新しいよねと感じてもらえる選曲ですね。創造性のある選曲です。そのためには選曲家も思い切った冒険をしなければなりません。なぜなら過去に例が無い選曲や音楽演出は、視聴者には理解しづらいからです。例えば水中のダイバーの映像のBGMに賛美歌を使うとか、食事シーンのBGMにアフリカンドラムを使うとかです。ただ、すぐに狙い通りの効果がでることはないでしょう。新しい選曲を理解してもらうのには時間がかかるからです。後になって「新しい選曲だったね」と評価されれば成功です。

必要なもの2 ギャップ

予想を裏切るのも芸術を目指す上では必要です。普通ならこのシーンにはこの音楽なのに、まさかこの音楽とは!といった、視聴者の当たり前を覆す選曲です。例えば悲しいシーンには悲しい曲、楽しいシーンには楽しい曲なのに、悲しいシーンに明るい曲、楽しいシーンに寂しい曲といった、予想できる音楽を選ばないギャップです。視聴者にとって予想を裏切られることは驚きです。これは意外性のある選曲です。もちろん成功するか失敗するか、リスクを取ることになりますが、芸術をめざすならやる価値があります。実際のアニメで有名なのは「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の”今日の日はさようなら”でしょうか・・・もの凄くギャップがあるシーンで衝撃を受けた人も多いと思いますが、芸術性の高い選曲でしたね。

必要なもの3 記憶の増幅

視聴者の記憶を蘇らせるのも、芸術を目指す手段だと思います。「新しさ」や「ギャップ」とは正反対の「よーく知ってる」をさらに強く表現することです。悲しいシーンに悲しい音楽、解ってるけど耐えられないほど悲しい・・・とか激しいシーンに激しい音楽、解っているけど激しく揺さぶられるといった選曲です。これは視聴者の過去の記憶や経験をさらに増幅させるので瞬間に効果が出ます。つまり感動です。当たり前とか、ありふれたとかが、どうでも良くなる感動は芸術です。が、これはこれで難しいのです。なぜならやはり個人差があり、人によっては、ありふれた止まりになってしまうからです。

選曲は作曲と違い、存在する音楽で演出しなければなりません。そこで新しさやギャップ、感動を表現して行くのですが、選曲ならではの芸術性ももちろんあります。先程例に出した「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」の”今日の日はさようなら”などは、既成曲を選曲したからこそ生まれた芸術性で、作曲では表現できない世界だと思います。そういった芸術性を意識した選曲も、選曲家は忘れてはいけないでしょう。だけど思い通りにはならない・・・それが芸術なのかも知れませんね。

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