映画も音楽も絵画も、どれが正解ってものはありません。見たり聞いたりする人や、趣味や環境によって答えは様々だからです。
選曲の仕事も正解のない、表現という意味では最も難しい(むしろ面倒くさいという、悪い言い方でもよいかも)ジャンルではないでしょうか。
なぜなら、使用する音楽は誰かが作曲したものだし、ディレクター、プロデューサー、クライアントはたいてい自分の好きな音楽の傾向があるし、ライブラリーには無い音楽(すべての曲が揃っているわけではないのです)を要求されたりします。しかも選曲家の決定権はほぼありません。だから成功しても「この曲良いよね」は作曲家への評価、「いい作品だね」はディレクターやプロデューサーへの評価になります。徹夜して音楽仕込んで、ちゃんと仕事しても、褒めてくれるのは身内のスタッフだけです(笑)。
映画監督も作曲家も美術家も、自分の作品を作ること、自分のなり表現をすることに専念し、主観的に作品に取り組みますし、それが求められます。しかし選曲家には求められません。
じゃあ選曲するのは誰でもいいじゃん・・・とならないのが選曲の不思議なところです。良い選曲家は使用する音楽の趣味が違っても、みんなを納得させる「技」を持っています。それは何か・・・。
曲だけ聞くと「好き」「嫌い」「イマイチ」という反応があったとしても、並べ方や使い所の選定、使用する長さ、編集によって「アリかも!」と思わせる”技術力”や、第三者目線で音楽を聞く・作品を見る”客観性”、そしてそれらを駆使して音楽でコーティングして、納得させる作品に仕上げる”構成力”ではないでしょうか(隠し味に、若干のセンス)。
もうおわかりですよね、選曲家は芸術家ではなく技術者です。
よく「選曲家はいろんな音楽を知っていなくてはならない、いろんな曲をいっぱい知っていなければならい」と言われることがありますが、私はそうは思いません。それは評論家の仕事です。選曲家に必要なのは、初めて聞いた曲をすぐ理解し、分析し、使い所を判断する力です。一般の人とは音楽の聴き方が違うのです。
とはいえ芸術性のない選曲はつまらない(笑)そこが辛いところです。選曲家の芸術性については、また次の機会に。
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