自己満足っていう言葉は、どちらかというとネガティブな印象がありませんか?
「所詮自己満だろ?」とか「自己満足してるんじゃないよ」とか、悪い意味で使われる事が多いと思います。
確かにその通りですが、悪いばかりではないと思っています。
自己満足は必要
選曲に限らず、創造する仕事の場合、自己満足が無いなんてことあるんでしょうか。自己満足を追求した結果、創造物の評価が上がったり、芸術的価値が付いたりするような気がします。自己満足できない作品なんて、自分自身もう一度見たい、聞きたいという気持ちになれないし、ましてユーザーに提供なんてできないんじゃないでしょうか。
黒澤明
映画監督の黒澤明は、拘りが強い人として有名ですよね。自分の作品に使用する小道具も、古く見せるためには徹底して古く作り、中を見ることもない手紙も、しっかり中の文章まで書いたと言われています。
いやいや、これ必要ですか?と言われると微妙ですよね(笑)確かに必要はないでしょう。カメラに写らないんだし。
だけど監督のモチベーションが変わってくるのは理解できます。回り回って作品に影響するなら、必要な拘りと言えます。
拘りは自己満足か
拘りと自己満足は同じではありません。ただ凄く似ている部分はあります。拘って、拘り抜いて、しっかりした作品を作っても「自己満足」と判断されたりします。つまり相手に拘りが伝わらなかったという事ですね。伝えるという仕事をしている以上、失敗なのかもしれません。
じゃあ、やっぱり自己満足は駄目じゃん・・・と思われるでしょうが、そうではなく、自己満足が伝わってしまうことが駄目なのであって、自己満足を追求しなければ、拘ることができないと思うんです。
私の場合(笑)
さてさて、私の自己満足を書いていきます(笑)これは自己満足でしょうか・・・拘りでしょうか・・・。
バラエティーな選曲にはしたくない
どんな作品でもそうなのですが、できれば音質を揃えたい!音楽のジャンルではないです。音質です。理想の理想を言えば、作曲なら同じメンバーで演奏した楽曲で揃えたいのです。ジャズの後に四重奏が来てもロックが来てもかまわないのですが、全く違う環境で録音された音楽は使いたくないんです。
例えば1曲目が80年代に録音されたポップス、2曲目がごく最近の機材で打ち込みされたダンスビートの曲、3曲目が50年代に録音されたジャズ・・・みたいな音質の差のある音楽は並べたくないんです。ジャンルは違えど全部80年代の録音とかに統一したいんです。
選曲だから限界はありますが、これは・・・自己満足ですよね、解ってます。
1曲目から仕込みたい
音楽の選曲は1曲目から順番に決めていきたいんです。最初はオープニング(もしくはメインタイトル)から選曲して、その気分をキープしたまま2曲目を決めて、3曲目・・・と決めていきたいのです。私の選曲作業が遅いのは(笑)最初の曲を決めないと、他の曲を選曲する気にならないからだと思います。なんなんでしょう、これは自己満足というより性格ですかね。マンガ本も1巻から順番に並べないと気がすまないのと同じでしょうかね。
とはいえ、これは最近になって意識してやめようと思っています。作業効率が悪すぎるので・・・
音楽編集時に展開をカットしない
うまい言い方が思いつかないのですが、音楽編集して尺合わせするとき、Aメロ3回繰り返して終わり、みたいな編集にはしたくないんです。Aメロ3回繰り返すなら、無理矢理にでもA/B/Aとしたいんです。Bメロの展開が長くて編集しづらくてもです。短いなら短いなりの音楽構成を作りたいんですね。
これはどうしてもハサミを入れる部分が多くなり、手間も時間もかかるんですが、編集しても音楽として成り立たせたいというか・・・自己満足です(笑)。
まぁ、細かい事を言えばまだまだあるし、結局妥協もするのですが、自己満足できないのは苦痛ですよね・・・そんな事ないですか?
他人に強制しない
最初に書いた通り、自己満足は自分のモチベーションを高めるためにも必要だと思うんです。ただ、悪く言われるのは、相手が迷惑だと思うからだと思うんです。
自己満足のせいで待たされる・・・とか、自己満足に付き合わされる・・・とか、自己満足のために作業をさせられるなんて事は実に迷惑ですよね。それは私も激しく同意します(笑)。
自己満足はあくまで自己処理で。これができるなら自己満足をどんどん追求しても良いんじゃないでしょうか。
コメント